「第五福竜丸献鶴オフ2006」
遅くなりましたがoff終了報告です。
献鶴数:3,000羽
(内訳:これまでのoffで折った分1,000羽、西尾持ち込み分2,000羽)
参加者:3人(◆MOEzd./UGM さん、おりぢん ◆AM66DtKnck さん、西尾 ◆7nnKGdP7MY)
強風の影響で京葉線のダイヤが乱れていたため
展示館に到着するのが遅くなってしまいましたが、
予定通り献鶴してきました。
展示館の方が以前献鶴しに行ったことを覚えていて下さって、
その当時とは展示パネルが一新されたことや、
最近行った特別展のお話などを丁寧に解説していただきました。
展示館のY様、どうもありがとうございました。
ビキニ環礁に住んでいた島民の方の現在の問題、
実際には各国で行われた核実験によって被爆してしまった人のことなどを
解説いただいたときに、
第5福竜丸や広島、長崎で「原水爆問題は終わっている」のではなく、
「実は原水爆問題は今もなお続いている」ことに気づかされまして、
改めて「知ること」の重要性を実感しました。
off終了後、静岡方面にお帰りになる
◆MOEzd./UGM さん、おりぢん ◆AM66DtKnck さんと一緒に
東京駅へ移動、八重洲地下街にて早目の夕食を食べて解散しました。
私からのoff報告はこんなところかな。
後日写真とともに◆MOEzd./UGM さんが
まとめサイトの方にもレポートうpしてくださると思います。
展示館がどんな感じだったのかはそちらの方で、ということで。
皆様、お疲れ様でした。
2006年4月15日
2006年3月12日に行われた「第五福竜丸献鶴オフ2006」の画像を掲載しました。画像クリックで拡大できます。
写真は西尾さん[*]・及び◆MOEzd./UGM[◆]が撮影したものです。
[◆]第五福竜丸展示館全景。手前に見えるのは管理事務所です。
[◆]ちなみに、今年は第五福竜丸展示館開館30周年記念だそうです。なんと!
[◆] 例によって大量の千羽鶴が飾ってあります。合わせて3ヶ所ほど。
[*]大漁旗……いろんなものを大量に浴びて、残念過ぎる旗となってしまいました。
[◆]この日は風が強かったです。第五福竜丸、何を見て何を想うのか……。
[*]展示館至近案内図。基本的には公園内の一施設ということになっています。
[◆]館内。相変わらず右側の実物が威圧感あり過ぎます。本物だもんなぁ。
[*]最初の展示物は基本的には2年前とさほど変化ないものの、見栄えは美麗に一新。
[◆]パネルなどは2年前と比較して、非常にわかりやすくなりました。この地図もそう。
[◆]航路と被災分布図が、詳細に且つわかりやすく描かれています。
[*]第五福竜丸の航路。被爆の影響を受け慌てて帰還する状況が見て取れます。
[◆]ホワイトデー。福竜丸帰還。今の人たちは何を思うのでしょうか。
[◆]「焼津市新屋(あらや)」と書かれた手ぬぐい。ちなみに焼津港にあります。
[◆]かなり本格的な釣り具。やはり海に出るにはこれくらい必要なんでしょう。
[◆]ガイガーカウンター。当時はこれで放射能を計ったのでしょう。
[◆]原水爆実験禁止誓願署名。これがどれだけの効果をもたらしたかは……。
[◆]「この雨に放射能」日本は「ブレードランナー」より早く酸性雨喰らってます。
[◆]マグロもこれだけ並ぶと壮観だけど、検査だもんなぁ……いやはや。
[◆]かなり高い天井。こうしてみると「まさにこの船のために作られた」感が。
[◆]船底の杭。年季を感じさせます。これでよく浮いていたよなぁ……。
[◆]水を受ける部分(正式名称何て言うんだろ)。イイ感じの質感が出てます。
[◆]錨。左右にあります。間近で見ると結構な大迫力です。
[*]今回いちばん目を引いたのが「マーシャル諸島」展示。実際の被災地です。
[*]マーシャル諸島共和国の国旗と解説。太平洋と勇気と平和。いいですねぇ。
[*]写真を見るだけだと南国ムード漂う良いところです。ちょっと行ってみたい。
[*]でも住民は島を転々として暮らしています。そうせざるを得ないのです。
[◆]マーシャル諸島の手作り民芸品。彼らはこれらを作って生計を立てています。
[*]記念切手にキノコ雲の絵を使わざるを得ない住民の心情や如何ばかりか……。
[◆]上の穴は爆心痕。下は調査に使用した道具などを埋めた「地上最大最悪のゴミ箱」。
[*]別の場所で核実験によってできたクレーター。これは被害デカ過ぎないか?
[◆]広島にも展示してあった爆心地至近の破片など。とにかく凄まじいことがわかります。
[◆]変形した瓶。以前広島で触れたことがありますが、凄いことになってました。
[*]核実験回数。わかりやすいビジュアルで展示してあるので衝撃度アップ。
[*]原水爆実験の回数をグラフにしたもの。右上がりなのは減ることを期待してか?
[◆]このあたりのデザインセンスは見習うべき部分大。
[◆]何この突出っぷり。
[◆]一ヶ所だけ飛び抜けているのは、つまりこの年に何かが起きた、というわけで……。
[◆]1961年はベルリンの壁が構築された年、東西ドイツが実質的に誕生した年だったのです。
[*]原水爆実験回数は減っているとは言え、今後ないとは言い切れません。
[*]第五福竜丸模型。実物が目前にあっても、全貌は把握できません故に……。
[*]絵解き第五福竜丸。当時はこんな風に運用されていたんですね。。
[*]運転席。当時としてはそれなりのスペックを誇っていたのでしょう。
[◆]デッキから後方を望む。スポットライトは何を暗示するのか……。
[◆]全然関係ないけど、ベンチ。なんかいい味出してるので掲載してみました。
[◆]モールス信号発信器。実際に打てます。これが何げにおもしろいのですよ。
[◆]「第五福竜丸は生きている」確かに、今ここに「生きて」います。
[*]献鶴する俺。この時のために脚立まで用意してくださいました。ありがとう中の人。
[*]千羽鶴と短冊。裏には何が書いてあるか読みに行くのも一興かと……。
[*]西尾さん作成の千羽は別の場所にも飾っていただきました。
[*]イラストレーター黒田征太郎さんの「ピカドン展」のイラスト群が凄いです。
[*]「ピカドン展」ポスター。わかりやすすぎるコンセプトがステキです。
[◆]手前は被爆体験手記。奥のピンクの展示は「ラッセル・アインシュタイン宣言」。
[*]被爆体験手記の一部。インパクト強すぎます。正直、全部は読めませんでした。
[◆]いのち育てよう。俺も1本買ってきてしまいました。イラストがイイです。
[*]出口からエンジン・マグロ塚・久保山愛吉記念碑に繋がります。
[*]久保山愛吉記念碑の前にある玉砂利には様々なメッセージが託されています。
[*]以前は俺のカメラが悪かったので撮れませんでしたが、今回はバッチリ撮影。
[◆]エンジンの心臓部とも言えるピストン部。やはりかなりの老朽化が見て取れます。
[◆]エンジンと展示館のスケールの違いを3段階に分けて掲載。まず一番近いところ。
[◆]ちょっと遠ざかってみたところ。これでも展示館が収まってません。
[◆]かなり遠ざかってみたところ。手前の枯れ木からどれくらい離れたか推測してください。